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今日の歳時花~勿忘草

今日の歳時花~勿忘草

ワスレナグサ

ワスレナグサ(勿忘草、忘れな草)は、広義においては、ムラサキ科ワスレナグサ属の種の総称で、狭義においてはワスレナグサ属の一種、シンワスレナグサ(学名:Myosotis scorpioides)の和名です。ヨーロッパ原産の多年草で、野生化して各地に群生しており、日当たりと水はけのよい湿性地を好み、日本全国(北海道・本州・四国)に分布しています。高さは30cmほどになります。晩春から初夏にかけて青または瑠璃色の小さな花をかためてつけ、花冠の中心部の黄色とのコントラストが印象的です。花の色は白やピンクの品種もあります。葉は細長く平らな、長楕円形もしくは倒披針形で、葉から茎まで軟毛に覆われています。属名の Myosotis は、そうした細長く多毛で柔らかい葉の様子がハツカネズミの耳に似ていることに由来しているそうです。また、和名のワスレナグサは「Forget-me-not」を1905年(明治38年)植物学者の川上滝弥が訳したことによります。恋人のために岸辺で花をつんでいて水に落ち、フォー・ゲット・ミー・ノットと言って沈んでいった、中世ドイツの悲恋物語の主人公の言葉にちなんだものです。可憐哀切な物語にふさわしい季語の花です。

参考資料:新歳時記 平井照敏編
美しい季語の花 金子兜太監修
wikipedia~ワスレナグサ

中村 草田男(なかむら くさたお、1901年(明治34年)7月24日 - 1983年(昭和58年)8月5日)は、日本の俳人。本名・中村 清一郎(なかむら せいいちろう)。1925年(大正14年)東京帝国大学文学部独文科に入学。しかし中途で国文科に転じた。1929年(昭和4年)高浜虚子に師事し俳句を学ぶ。また東大俳句会に入門。水原秋桜子の勧めで『ホトトギス』に投句。1933年(昭和8年)大学を卒業し、成蹊学園に就職。現代俳句の中心的存在として、1946年(昭和21年)月刊俳誌『萬緑(ばんりょく)』を主宰した。1963年と1975年には、それぞれ同人や会員の作品を収録した『萬緑合同句集』『萬緑合同句集2』が発行されている。

出典:wikipedia~中村草田男

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