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大島の想い出

大島の想い出

イソマツ

宮澤賢治の友人の伊藤七雄は花巻に訪問した返礼と大島に農芸学校の設立を計画していたこともあったことから、1928年6月に賢治を伊豆大島に招待しました。詩「三原三部」は東京の霊岸島出発から離れるまでの3日間を歌っています。そのうち、三原を去る心境をつづった三部をご紹介しましょう。

黒い火山岩礁に
いくたびいくたび磯波があがり
赤い排気筒の船もゆれ
三原も見えず
黒い火山岩礁に
いくたびいくたび磯波が下がり
……風はさゝやき
風はさゝやき……
波は灰いろから
タンブルブルーにかはり
枯れかかった磯松の列や
島の奥は蛋白彩の
けむりはあがり
いちめん apple green の草はら
(中略)
なぜわたくしは離れて来るその島を
じっと見つめて来なかったでせう
もういま南にあなたの島はすっかり見えず
わづかに伊豆の山山が
その方向を指し示すだけです
たうたうわたくしは
いそがしくあなた方を離れてしまったのです

イソマツはイソマツ科の小低木状の多年草で、日本では伊豆諸島及び小笠原諸島、南西諸島に分布します。葉の落ちた跡の幹が松のようであることから磯の松で「イソマツ」と名付けられました。
歌中に、「枯れかかった磯松の列」とありますが、イソマツの開花期は八月から11月であることから、訪問した六月に枯れかかった磯松という描写は何を見たのでしょうか。前年の花が枯れたまま残っていたのでしょうか。

賢治の訪問の3年後の1931年に、伊藤は念願の「大島農芸学校」の開校にこぎつけましたが、その直後に結核で亡くなります。担い手のいなくなってしまった、農芸学校は、翌年の1月で廃校となりました。

宮澤賢治 詩・三原三部

写真:wikipedia~イソマツ

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