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カモガヤの穂、哀し

カモガヤの穂、哀し

カモガヤ

宮沢賢治の「土神と狐」は賢治が亡くなった翌年(1934年)に発表された作品です。好きな女性(擬人化された樺の木)のために嘘をついてしまう狐と、狐への嫉妬に苦しむ土神とが、迎える哀しい結末を描く短編童話です。

おしゃれで博学で話し上手な狐はハイネの詩集を樺の木に貸し与えたりドイツに注文したツァイスの望遠鏡の話をしたり、自らの書斎に並ぶロンドンタイムスや顕微鏡、大理石の像があるなど、樺の木に好かれようと思い嘘をつきます。一方、正直ではありますが、心が狭く、神であるにもかかわらず、供物も捧げられる事も無いダメな自分への劣等感に苦しむ土神は、物語の終盤、偶然、樺の木の前で出会ってしまうことから悲劇が始まります。

狐は土神の居るのを見るとはっと顔いろを変へました。けれども戻るわけにも行かず少しふるへながら樺の木の前に進んで来ました。
「樺の木さん、お早う、そちらに居られるのは土神ですね。」狐は赤革の靴くつをはき茶いろのレーンコートを着てまだ夏帽子をかぶりながら斯かう云ひました。
「わしは土神だ。いゝ天気だ。な。」土神はほんたうに明るい心持で斯う言ひました。狐は嫉ねたましさに顔を青くしながら樺の木に言ひました。
「お客さまのお出いでの所にあがって失礼いたしました。これはこの間お約束した本です。それから望遠鏡はいつかはれた晩にお目にかけます。さよなら。」
「まあ、ありがたうございます。」と樺の木が言ってゐるうちに狐はもう土神に挨拶もしないでさっさと戻りはじめました。樺の木はさっと青くなってまた小さくぷりぷり顫ふるひました。
土神はしばらくの間たゞぼんやりと狐きつねを見送って立ってゐましたがふと狐の赤革の靴くつのキラッと草に光るのにびっくりして我に返ったと思ひましたら俄にはかに頭がぐらっとしました。狐がいかにも意地をはったやうに肩をいからせてぐんぐん向ふへ歩いてゐるのです。土神はむらむらっと怒りました。顔も物凄ものすごくまっ黒に変ったのです。美学の本だの望遠鏡だのと、畜生、さあ、どうするか見ろ、といきなり狐のあとを追ひかけました。

(中略)

二人はごうごう鳴って汽車のやうに走りました。
「もうおしまひだ、もうおしまひだ、望遠鏡、望遠鏡、望遠鏡」と狐は一心に頭の隅すみのとこで考へながら夢のやうに走ってゐました。
向ふに小さな赤剥あかはげの丘がありました。狐はその下の円い穴にはひらうとしてくるっと一つまはりました。それから首を低くしていきなり中へ飛び込まうとして後あしをちらっとあげたときもう土神はうしろからぱっと飛びかかってゐました。と思ふと狐はもう土神にからだをねぢられて口を尖とがらして少し笑ったやうになったまゝぐんにゃりと土神の手の上に首を垂れてゐたのです。土神はいきなり狐を地べたに投げつけてぐちゃぐちゃ四五へん踏みつけました。それからいきなり狐の穴の中にとび込んで行きました。中はがらんとして暗くたゞ赤土が奇麗に堅められてゐるばかりでした。土神は大きく口をまげてあけながら少し変な気がして外へ出て来ました。それからぐつたり横になってゐる狐の屍骸のレーンコートのかくしの中に手を入れて見ました。そのかくしの中には茶いろなかもがやの穂が二本はひって居ました。土神はさっきからあいてゐた口をそのまゝまるで途方もない声で泣き出しました。その泪なみだは雨のやうに狐に降り狐はいよいよ首をぐんにゃりとしてうすら笑ったやうになって死んで居たのです。

カモガヤ(英: orchard grass、学名: Dactylis glomerata)はイネ科カモガヤ属の多年草で日本には明治時代に牧草として導入され、帰化植物として野生化している、どこにでも見かけるいわば雑草とも言えます。今では花粉症の原因とされ嫌われています。

狐のポケットに入っていたカモガヤは何を象徴しているのでしょうか。

宮澤賢治 土神と狐
写真:wikipedia~カモガヤ

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