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馬鈴薯の正体

馬鈴薯の正体

アメリカホドイモ

菜食主義で知られる宮沢賢治の短編小説に「ビヂテリアン大祭」という作品があります。
カナダの東海岸にある大きな島、ニュウファウンドランド島の山村で行われた、ビジテリアン大祭に日本の代表として参加した主人公のお話です。
「ビジテリアン諸氏に寄す。諸君がどんなに頑張がんばって、馬鈴薯とキャベジ、メリケン粉ぐらいを食っていようと、海岸ではあんまりたくさん魚がとれて困る。折角せっかく死んでも、それを食べて呉くれる人もなし、可哀そうに、魚はみんなシャベルで釜かまになげ込こまれ、煮えるとすくわれて、締木しめぎにかけて圧搾あっさくされる。釜に残った油の分は魚油です。今は一缶かん十セントです。鰯いわしなら一缶がまあざっと七百疋ぴき分ですねえ、締木にかけた方は魚粕うおかすです、一キログラム六セントです、一キログラムは鰯ならまあ五百疋ですねえ、みなさん海岸へ行ってめまいをしてはいけません。また農場へ行ってめまいをしてもいけません、なぜなら、その魚粕をつかうとキャベジでも麦でもずいぶんよく穫とれます。おまけにキャベジ一つこさえるには、百疋からの青虫を除とらなければならないのですぜ。それからみなさんこの町で何か煮にたものをめしあがったり、お湯をお使いになるときに、めまいを起さないように願います。この町のガスはご存知の通り、石炭でなしに、魚油を乾溜かんりゅうしてつくっているのですから。いずれ又お目にかかって詳くわしく申しあげましょう。」

大会は批判派と擁護派の応酬が繰り返されますが、この文章は批判派が会に先立って撒いていたビラにあったものです。物語は菜食主義に対する理解が、現在においても全く進歩していない状況をよく表していて、そこに提出される批判は現在でも繰り返されているものです。

さて、物語にある「馬鈴薯」は、日本の行政では使われていますが、ジャガイモと呼ぶ方が今や一般的でしょう。ジャガイモと言う名はジャワのジャガトラ(ジャカルタ)から伝播したことに因んでジャガタライモが変化して現在のジャガイモという呼び名になったという説やジャワ島の芋の意味のジャワイモが変化したもの[天保の大飢饉でジャガイモのおかげで餓死を免れたことから呼称された「御助芋」が転じたなどと諸説あります。実際、寒冷地や痩せた土壌でも栽培しやすく、茹でる等の簡単な調理で食べることができることから米等の穀物の代用品として食べられてきました。

しかし、これはジャガイモの話であって、「馬鈴薯」のお話ではありません。といったら皆さんどう思われるでしょうか?実は「ジャガイモ」と「馬鈴薯」は別種であるという説があるのです。

牧野富太郎博士の著書「植物一日一題 馬鈴薯とジャガイモ」から一部を引用すると

「ジャガタライモ、すなわちジャガイモ(Solanum tuberosum L.)を馬鈴薯ではないと明瞭に理解している人は極めて少数で、大抵の人、否な一流の学者さえも馬鈴薯をジャガイモだと思っているのが普通であるから、この馬鈴薯の文字が都鄙を通じて氾濫している。が、しかしジャガイモに馬鈴薯の文字を用うるのは大変な間違いで、ジャガイモは断じて馬鈴薯そのものではないことは最も明白かつ確乎たる事実である。こんな間違った名を日常平気で使っているのはおろかな話で、これこそ日本文化の恥辱でなくてなんであろう...」

この後、牧野節は延々と続くのですが、そこは割愛して結論を申し上げると、「馬鈴薯」は中国の福建省中の一地方に産する一植物の名で、その描写がわずかに載っている「松渓県志」という書物からの想像によれば「ホドイモ」ではないかと推測しています。

このホドイモ(Apios fortunei )、またはホドは、マメ科ホドイモ属の植物で、地下に出来る塊茎をそのまま加熱して食用にします。現在東北地方を中心にホドという名で作物として主に栽培されているのは、明治時代中期に日本に導入された同属近縁種のアメリカホドで、ネイティブ・アメリカンにとっての貴重な食料であったためインディアンポテトの名があります。

今でも「ジャガイモ」を「馬鈴薯」と呼ぶ日本の行政に牧野博士の「喝」が聞こえてきそうですね。

宮澤賢治 ビヂテリアン大祭

写真 wikipedia~アメリカホドイモ

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