ヒエ実るころ
ヒエ実るころ
賢治の童話や詩は有名ですが、文学的な歩みから言うと盛岡中学時代の短歌から始まります。賢治の短歌は大別すると歌稿AとBがあります。Aは明治44年~大正9年春までの作品を2人の妹と賢治自身が編集した編集した一行書きの短歌です。一方BはAに賢治が推敲加除して新作を加え一冊にまとめたものです。特徴としては二行から五行の行変えがされています。
しろがねの
あいさつ交わすそらとやま
やまのはたけは
稗しげりつヽ
詩・歌稿B 大正六年七月 五八二
まくろなる
岩鐘の下
あらはれて
稗ばたを来る
郵便脚夫
詩・歌稿B 大正六年七月 五八三a
賢治の生まれ育った岩手県稗貫郡は岩手県の中央部に位置した群で現在の花巻市です。早池峰山の入山口である大迫町は以前、エーデルワイン社を訪れた際に旅ナビページでご紹介致しましたとおり、ぶどう栽培で有名な一方、新花巻駅から山の裾野にあたる大迫町にいたる国道沿いに広がる畑には、大ぶりな紫褐色の稗の穂先がゆらりゆらりと揺れていました。
ヒエ(稗、英名:Japanese barnyard millet、学名:Echinochloa esculenta (A. Braun) H. Scholz (1992))は、イネ科ヒエ属の植物です。日本では古来よりアワ、米のならんで重要な穀物として重用されてきました。冷害に強く安定した収穫が望めることから、北海道や東北地方で栽培されてきましたが、食用にするための過程に手間と時間がかかり、どうしても高価になってしまうことから今ではあまり栽培はされていないそうです。
また、主要穀物の中では貧困のイメージと重なり、貧者の食物と卑しまれた側面もありましたが
賢治の時代は稲作もまだまだ安定せず、冷害などに悩まされていた事でしょうから
稗は大事な作物の1つであったに違いありません。
方十里稗貫のみかも稲熟れて
み祭三日そらははれわたる
賢治の絶筆短歌は
昨年の冷害を乗り越えて
今年は大豊作になり無事
祭りを迎えた様を歌っています。
写真:wikipedia~ヒエ