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イチジクの果

イチジクの果

イチジク

庭のイチジクが沢山実をつけました。鳥に食べられないよう、かと言って未熟な状態では収穫出来ないので「食べ頃」を鳥と争う今日この頃ですが、イチジク(無花果、映日果)は、クワ科イチジク属の落葉高木で原産地はアラビア南部です。古来より原産地に近い地中海沿岸やメソポタミア地方では栽培されていて、聖書やギリシア神話にも登場する植物です。

「沙車の春の終わりには、野原いちめん楊の花が光って飛びます。遠くの氷の山からは、白い何とも云えず瞳を痛くするような光が、日光の中を這ってまいります。それから果樹がちらちらゆすれ、ひばりはそらですきとった波をたてまする。童子は早くも六つになられました。春のある夕方のこと、須利耶さまは雁から来たお子さまをつれて、町を通って参られました。(中略)子供らは声を揃えていつものようにはやしまする
(雁の子、雁の子雁童子、空から須利耶におりて来た。)
と斯うでございます。けれども一人の子供が冗談に申しまするには、
(雁のすてご、雁すてご、春になってもまだおるか。)
みんなはどっと笑いましてそれからどう云うわけか小さな石が一つ飛んで来て童子の頬を打ちました。須利耶さまは童子をかばってみんなに申されますのには、おまえたち何をするんだ、この子供が何か悪いことをしたか、冗談にも石を投げるなんていけないぞ。子供らは叫んでばらばら走って童子に詫びたり慰めたりいたしました。或る子は前掛けの布嚢から干した無花果を出して遣ろうといたしました。」

宮澤賢治の「雁の童子」は流沙と呼ばれる中国西北方の砂漠地帯、いまで言うタクラマカン砂漠を旅する人がとあるオアシスで出会った小さな祠について、巡礼の老人に雁の童子にまつわる祠であることを聞かされその物語を聴くという短編小説です。日本では無花果はもっぱら生食されますが、この物語にさりげなく触れられているように海外では乾燥したものを食する事が多いようです。

そして、この甘くておいしい部分は果肉ではなく花であることは皆さんご承知のとおりです。牧野富太郎博士は自著「植物一日一題」でこれを「閉在花穂」と呼び、その成立を図に表しています。

イチジクの変化図

その説明文を一部引用してしてみましょう。
「今ここにそのゆえんを説明するために、私は次の図を創意してみた。すなわちこれをみればその状が一目瞭然であろう。誰でもなるほどと合点が行くであろう。すなわち、その花穂の中軸が段々と膨大して頂きの方から窪みはじめて陥ちこみ、漸次にその度が増してついにはこれを包んでしまい、花はみなその中へ閉じ込められたのである。」とあります。

自信満々の説明ですが何故このような変形にいたったのかという原因には言及していないのが残念です。

宮澤賢治 雁の童子

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