高原の夢
高原の夢
種山ヶ原といふのは北上山地のまん中の高原で、青黒いつるつるの蛇紋岩や、硬い橄欖岩からできてゐます。(中略)どうしたのか、牛が俄に北の方へ馳せ出しました。達二はびっくりして、一生懸命追ひかけながら、兄の方に振り向いて叫びました。「牛ぁ逃げる。牛ぁ逃げる。兄あいな。牛ぁ逃げる。」
せいの高い草を分けて、どんどん牛が走りました。達二はどこ迄も夢中で追ひかけました。そのうちに、足が何だか硬張って来て、自分で走ってゐるのかどうか判らなくなってしまひました。それからまはりがまっ蒼になって、ぐるぐる廻り、たうとう達二は、深い草の中に倒れてしまひました。牛の白い斑が終りにちらっと見えました。達二は、仰向けになって空を見ました。空がまっ白に光って、ぐるぐる廻り、そのこちらを薄い鼠色の雲が、速く速く走ってゐます。そしてカンカン鳴ってゐます。達二はやっと起き上って、せかせか息しながら、牛の行った方に歩き出しました。草の中には、牛が通った痕らしく、かすかな路のやうなものがありました。達二は笑ひました。そして、(ふん。なあに、何処どこかで、のっこり立ってるさ。)と思ひました。
そこで達二は、一生懸命それを跡つけて行きました。ところがその路のやうなものは、まだ百歩も行かないうちに、をとこへしや、すてきに背高の薊の中で、二つにも三つにも分れてしまって、どれがどれやら一向わからなくなってしまひました。
宮澤賢治は大正六年八月二十八日、盛岡高等農林学校三年の時、江刺郡役所(現・奥州市江刺区)より土性調査の依頼を受け、学友二人と共に初めて江刺を訪れました。賢治はこの調査の旅で、種山ヶ原をはじめ明るくゆったりした江刺地方の自然が大変気に入り、以後、何度も訪れてて以降、種山ヶ原と江刺は、賢治の短歌、詩、童話、戯曲の舞台として、何度となく登場することになります。
童話・種山ヶ原は、高原で草刈りをしている祖父と兄に弁当を届けるために牛を連れて出かけた少年達二が、弁当を届けた後、逃げた牛の追跡中、オトコエシとアザミが生い茂る中で道に迷い、夢と現実が交錯するお話です。
オトコエシ Patrinia villosa は、オミナエシ科の多年草です。
宮澤賢治 童話・種山ヶ原
wikipedia~オトコエシ