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随想花譜~植物画とエッセイ

随想花譜~植物画と370文字のエッセイ

ベニ花の思い出

西洋シャクナゲ

ベニ花を見ると昨年8月に亡くなられた
佐藤先生のことを思い出します。
植物画を習い始めた頃、観賞用のベニ花を描いていた私に、
ガク片の形の違う薬用ベニ花のドライフラワーをくださって、植物画を
描くのには科学的な目が必要であることを教えて下さいました。
図鑑原画を描く今になっても、
知識不足とフィールドワークの足りなさを痛感させられます。
図鑑原画は現物が無い季節に描く事もしばしばなのでそれまでの
知識と観察の蓄積をいつも要求されます。たいていの植物は年に一度花を咲かせます。今年見逃したら来年まで待つ事になります。米を作る農家のように人生の中で限られた回数しか花を見る事は出来ません。一期一会の言葉のように植物との出会いを大切に、そしてベニ花を描いていた頃の初心を忘れずに自分らしい植物画を描ければと思います。
文:第29回日本ボタニカルアート展より
画:西洋シャクナゲ

礼文島を訪ねて

礼文島の花たち~1

今から13年前に憧れの礼文島に初めて行きました。
お花畑は天国のように素晴らしく、また是非いきたいと思った。
しかし、気がかりな点がひとつ、それは島のめぼしい産業が
漁業と観光らしく観光も団体客中心といった感じで
(団体観光が一概に悪いと言えないが)
レブンアツモリソウ/レブンウスユキソウ/ミズバショウの自生地のすぐ
近くまで道路がありバスや車が入っていけるようになっている事だ。
その道端にはハクサンチドリ/サイハイラン/クワガタ/イワベンケイ/ヨツバシオガマ等、たくさんの花が咲いているにもかかわらずだ。
どこから歩いても1時間も歩けばお花畑に出会える小さな島なのに
周遊バスが走り革靴にスーツ姿の人が大勢で歩いているのは
一種異様に見えた。
地元に暮らす人たちにとっても地場産業と自然環境の保護の両立は
難問に違いない。しかしバブル後の温泉町のようにならないと良いな
と思った。温泉町の復興は出来ても失った自然は取り戻せないからだ。
文:第30回日本ボタニカルアート展より
画:礼文島の花たち~1

幸福な禅問答

礼文島の花たち~2

「私は何を表現したくて絵を描いているのだろう?」とよく考える。
光と空気を描くため?自己を見つめ又は自己を消し去るため?
標本画でも植物画でもボタニカルアートでもなく又そうでもある絵を
描くために.....?いつも矛盾する事柄の狭間にありながら悩んでいる。
光と空気を描くという事は描かない事によって表現する事。
写実的に描く事は自己を消し去る事。しかし写真ではなく自分自身の
手で描く意義を表現したい。
絵を上手く描けない言い訳に科学的に描いたと言いたくない。
しかし植物を良く知らない言い訳にアート的に描いたとも言いたくない。
そしてなによりもこうして悩みながら描いているからと言って
苦しい絵にしたくないとも思っている。
描く事そのものは私にとって幸福な時をもたらしてくれる事だから......。
この問答に結論は当分出そうにない......。
文:第31回日本ボタニカルアート展より
画:礼文島の花たち~2

思い出を盗んで

チューリップ

最近はなるべく誰もが見た事のある植物を
描きたいと思って筆をとるようにしています。
植物画を描き始めた頃はともかく珍しい植物を描きたいと思っていました。
それは珍しい植物によって素晴らしくなった自分の絵をまるで自分の
力で素晴らしく描いたように勘違いさせてくれたからかもしれません。
もちろん今でも珍しい植物への制作意欲と興味がなくなったわけでは
ありませんが....
私の師匠である故佐藤広喜氏は見慣れた植物を見る人の思い出をまるで
甦らせるかのように描いていました。
誰もが目にする街路樹や里山の植物にはそれを目にした人達それぞれの
思い出や想い入れがあるものです。
家族や恋人と共に作った思い出ー共に見つめた花、その香ー嬉しい思い出
、悲しい想い......。その思い出や想いを少しでも共有し得る絵が描けたら.....。
それが今の私の目標です。
文:第32回日本ボタニカルアート展より
画:チューリップ達

一編の美しい小説になりたい

ハナミズキ

最近は作品作りの際、「説明し過ぎの絵」にならないように注意しています。
素晴らしい小説はなんど読んでも飽きることはありませんし、
その時々の自分の生活環境や精神状態で違った印象を与えてくれたり
想像力の翼を大きくしてくれます。最近の流行なのか
コンクール慣れした方が多くなったせいなのか「科学的」と称して
「説明し過ぎの絵」が増えた様な気がします。何かの資料図として使用する絵だったとしても、要素は必要最小限にして人の想像力に訴えかける事が大切なのでは?と思います。私の絵が「一編の美しい小説」になれる日は何時か....
想像力の翼を大きくして植物と向き合う今日この頃です。
文:第33回日本ボタニカルアート展より
画:ハナミズキ

夏の残雪

レブンウスユキソウ

ササ藪の中の通る真っすぐな道の道端にそれはある。
直径20cmぐらいの円形が2つ、50mぐらい手前からもそれは白く輝き
さしずめ夏の残雪の様に見える。それは礼文島で最も有名な植物の
ひとつ「礼文ウスユキソウ」の大株なのだ。
礼文島へ行った事がある方はご存知かと思いますが、
礼文ウスユキソウは群落地の中でさえ大株になることはなく、
一本立ちのものが群れて咲いているといった感じがします。
しかし、一か所だけ大株になったウスユキソウを見ることが出来る
スポットがあります。この道中は少し変わった印象の
ウスユキソウが多く「ウスユキソウ好きのトレッカーの靴裏
についてきた別の種だったりして」なんて思ったりもしてます。
いずれにしても私の宝物が毎年溶けることなく
「夏の残雪」の様に咲いてくれる事を願ってやみません。
第:34回日本ボタニカルアート展より
画:レブンウスユキソウ

随想

ミヤマオダマキ

日本ボタニカルアート協会も35周年、そして5歳年上の私は
2回目の成人式!?を迎えました。
そんな中、企業デザイナーだった20代の頃に先輩から戴いた言葉を
思い出します。それは「年を重ねても魅力的な女性は30代の時の
生き方が違う。だから君も一生懸命良い30代を過ごすんだよ!」
と言うものでした。この10年間ー私の30代はどうだっただろうか?
-大き過ぎる仕事への抜擢、信頼していた人たちの裏切り、
画業への転向そして恩師佐藤広喜氏の死ー
必ずしも良い事ばかりではなかったこの10年間。
沢山の素晴らしい出会いと別れ、喜びや苦悩、全てが私の画業の肥やしとなりました。魅力的な女性、また一人の人間として成長していくことが私に良い絵を描かせてくれると信じて今度は40代を駆け抜けたいと思います。
文:第35回日本ボタニカルアート展より
画:ミヤマオダマキ

一対の瞳

カタセタム

最近はデジタルカメラが普及したせいなのか、お教室の生徒さんの間でも
作画に写真を利用する率が増えたように思います。
私自身、礼文島に作品作りでは写真を用いていますが、それは限られた時間や
天候条件の中で、採取不可能な植物を描くために仕方なくやっている事です。
ですから通常描くときは念のために資料写真は撮りますが、なるべく使用しない
よう心がけています。以前は資料写真を安易に使った事がありましたが、やはり
人間の目に勝るものはないと最近は実感しています。一つ目小僧には立体や空間の意識が乏しく、やはり二つの目で見た方が空気の表現が出来ているように思います。機械の目に頼り疑問も抱かずに手だけ動かしていた頃はどこか自分の描写力の無さをごまかしていたように思います。植物を目の前に置き、悩みながら描いた絵は「上手な絵」でなくても「いい絵」になっていると確信しています。
文:第36回日本ボタニカルアート展より
画:カタセタム

ヘタウマそれともウマヘタ!?

雨音

学生の頃”ヘタウマ”というイラストが流行っていた。うまい人がわざと味を出して下手に描いたイラストの事だが、よく大学教授が「最近は”ヘタウマ”じゃなくて”ヘタヘタ”ばかりだな!!」と怒っていた。以前はボタニカルアートを描いているというと「ああ絵が下手な人が描く絵ね」とか「お金持ちの奥様のお稽古事でしょ」とか揶揄された。最近はジャンルそのものの認知度と作家・愛好家のレベルが上がったせいか、そのような事は言われなくなった。しかし私自身の中では「上手な絵」と「上手い絵」の違いを実感しつつある。ボタニカルアートは技術的に下手では話にならないが、上手に描いただけでも人の心は動かせない。
”ヘタヘタ”、”ヘタウマ”、”ウマウマ”どれも私の目指すものではなさそうです。残るは”ウマヘタ”のみか........。
文:第37回日本ボタニカルアート展より
画:「雨音」アジサイ

描く事を楽しむ

宵闇に薫る

最近、絵を描く事を楽しんでいます。植物画の中に動物や風景を描いてみたり。先日は1年ほど前から通い始めたテニススクールの1周年記念にコーチ達の顔を描いてプレゼントしたりしました。内心「こんな時間があったら植物画を描いたほうがいいかなぁ」とか思ったりもします。
しかし色んな絵を描いていると”絵力”(えぢから)が上がるというか...つまり上達していたりもします。考えてみれば学生の頃は手当たり次第に色々なものを描いていたものです。美しいと思った物や感動した事全てを描こうとする気持ちの大切さを最近実感しています。それがきっと絵を楽しく描く事につながっているのでしょう。時にはうまく描くことが出来ずに悩む事もありますが、悩みも描く事も含めて全てを受け入れる事が私にとって「描く事を楽しむ」になってきたようです。
文:第38回日本ボタニカルアート展より
画:宵闇に薫る

風まかせの仕事

ムサシアブミ

今年は我家のムサシアブミが初めて実をつけました。正確には今まで数回結実したのですが、梅雨を迎えると花柄がいつも腐ってしまいました。それが今年は分球して大きな花が二輪咲き、どうせいつも実が生らないので、1本は切り花として楽しみました。花は1本切った事でもう一方の花がビックリしたのか、単なる今年の気候のお蔭なのか、理由はわかりませんが、実は無事に梅雨を越えてスクスクと大きく育っています。秋になって赤く色づいたら、以前から描きかけになっていたムサシアブミの絵に実を描き加えようと思っています。しかし...植物画家の仕事は植物まかせのお天気まかせ...風まかせ...うまくいってくれれば良いのですが...そして毎年実をつけているにもかかわらずまだまだ実を描く事は出来ていません。
文:第39回日本ボタニカルアート展より
画:サトイモ科 ムサシアブミ

罪と罰

袖隠

私は職業柄というか当たり前の事ですが無断で花を手折った事がありませんでした。しかし4月のある日、歩いていると持ち主の判らない里山と幹線道路の境界に椿の木を2本見つけました。椿は2本とも同品種で白く大きな抱え咲きの花を付けていました。一旦は木の前を通り過ぎましたが引き戻されるようにして私は木の前に立っていました。そして1枝手折ってしまったのです。私はあまりの罪悪感から椿の木に合掌してその場を離れました。その日の夜、用事を済ませて椿の枝を手に帰宅すると今年16才になる我家の老猫が息を引きとっていました。帰宅1時間程前の出来事で私にとってあまりに大きな罰でした。白くうなだれて揺れる椿の名はソデカクシ。袖に隠してでも持ち出したい花という意味だそうです。何か予感しながらも愛猫に見せてあげたかった椿は手向けの花になってしまいました。
文:第40回日本ボタニカルアート展より
画:ツバキ科 ツバキ '袖隠'

平凡な場所にうずくまって

スプレーギク

私事ですが、今年の5月にアキレス腱を断裂しました。2か月ほど松葉杖の不自由な生活を強いられました。よく「大病をすると人生観が変わる」と言いますが、私もこの大怪我を機に人生観が少し変わった気がします。怪我の直後は悪夢の中にいるようで、翌朝目覚めにギブスの付いた足を見て現実を思い知りました。あの喪失感は表現できません。少し落ち着いて先の事が考えられるようになると、今度は画家として絵を描くこと以外のことをすべて犠牲にしてこなかった自分を責めたりもしました。こんな時いつも励ましてくれたのは、家族、友人、植物画の生徒さん達でした。私の大好きな歌にこんな一節があります。「大切なことはいつも平凡な場所にうずくまって僕らに気付かれるのをじっと待っている」大震災の日本にいて、普通に生きる事の難しさと大切さを痛感する毎日です。
文:第41回日本ボタニカルアート展より
画:「平凡」スプレーギク

尊いこと

アプローズ

昨年に生徒さんが行ってきたと言う牧野記念館で行われた桜展の案内チラシに見覚えのある名前を見て驚きました。今から15年ほど前、初めて銀座で個展をした折にその方は丹念に私の作品を見た後厳しい質問や指摘をされました。そしてご自分が牧野博士に植物画を学んだことや記憶に残ったことを話してくださいました。博士は普段は優しい方ですが絵にはとても厳しい方で「絵を描くことはとても尊いこと」と言ってらしたそうです。その方は帰り際に「あなたにもその尊い能力があるのですから精進なさい」といってくださいました。展覧会の作家紹介でその方が個展の4年後に亡くなっていることに気がつきました。私は鳥肌が立つような思いで驚き、とても残念な気持ちでいっぱいになりました。しかしまた記憶の奥底に沈んでいた何か熱いものが沸き上がってくる思いでした。思えばまだ駆け出しの画家だった私に「尊いこと」を教えて下さった川崎哲也さんに感謝して、遅くなりましたが合掌したいと思います。そして牧野博士から伝わってきたこの素晴らしい言葉に恥じない人の心を震わせるような絵を描きたいと思う私です。
文:第42回日本ボタニカルアート展より
画:「喝采」バラ 'アプローズ'

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